
- アナウンス部
- A.T.(2020年入社)
ニュース原稿のむこうにある “思い”も伝えられるキャスターに。
東京都出身。青山学院大学在学中から、BSの報道番組やネット番組などでキャスターとして活動。FBS入社後は、現場取材を担当するフィールドキャスターを2年間経験した後、4年目からFBSの看板番組「めんたいワイド」のニュースキャスターを担当。
就活で苦戦。理由は自分の中にあった
私がアナウンサーになりたいという夢を思い描くようになったのは、小学校3年生の時でした。
運動会の司会をして、「上手だね」と先生からほめられたことがきっかけ(笑)。
大学3年生の春休みからはアナウンススクールにも通うようになり、BSの報道番組の学生キャスターを経験してから、報道志望になりました。
でも就活はなかなかうまくいかなかったんです。
面接で「なぜアナウンサーになりたいの?」と質問されても、浅い答えしか言えなくて…。
振り返ってみると、なぜアナウンサーになりたいのか、自分でもわからなくなっていたんですよね。
アナウンサーになることがゴールになってしまっていたんだと思う。
それで一度、その道をおりて、普通の就活をちゃんとやってみることにしたんです。
銀行、広告、化粧品など、いろんな企業のインターンに行ってみました。
そして改めて、気づいたんです。自分はやっぱりアナウンサーがやりたいんだと。
いろんな人の話を聞くのが楽しいし、伝えることが好き。誰かの役に立つこともできる、やりがいのある仕事だと、自分の言葉で志望動機を言えるようになってから、選考にも残れるようになりました。
全国のテレビ局を受けましたが、FBSから内定をいただいた時点で、他を受けるのをやめました。
実は子どもの頃、父が福岡に単身赴任をしていて、福岡にはよく来ていたんですよ。
ご飯がおいしくて、住みやすいまちだということは知っていましたし、FBSは人事の方もすごくフランクで。いちばん緊張せずに試験を受けることができたんです。
ここは自分に合うし、FBSなら自分らしくのびのびと働けると感じていました。

現場で感じたギャップ。「報道ってなんだろう?」
1年目は基本的に、昼のニュースを担当しながら、記者の業務をしっかりやりました。
アナウンサーが記者の勉強をするのは、FBSの1つの特徴だと思います。
上司からは、「まずはしっかり、原稿を書けるようになりなさい」と言われていました。
そして2年目から2年間、フィールドキャスターを任されたんです。
フィールドキャスターは、ニュースの現場に真っ先にかけつけて、現場から伝える役割です。
ただ、自分としてはすごくギャップも感じていました。
毎日、自分でアポイントを取り、取材をして、原稿を書いて。大きな事件があったら、その現場でずっと取材です。
他局の報道記者から、「アナウンサーが警察担当の記者みたいな仕事しているの?」と驚かれたこともあります。
他局でアナウンサーになった同期たちがキラキラして見えて、「あこがれていた私はどこに?」という感じでした(苦笑)。
特に印象に残っているのは、県内で起きたストーカー殺人事件です。
ひたすら現場に行って、通行人に手あたりしだい声をかけて、目撃者を探したり、被害者の友達に話を聞いたり。
毎日葛藤していましたね。涙が止まらないほど悲しんでいる人に、話を聞いていいんだろうか?と。
でも、それを伝えることで、同じような悲しい事件が2度と起きないようにできるかもしれない。
自分がやりたい報道ってなんだろう?と悩んだ2年間でした。
でもあの2年間のおかげで、今わかるんです。
この取材は大変だったろうなとか、この記事はこういう思いで書かれてあるんだろうなとか。
ニュース原稿のポイントをつかんで伝えることができるようになったと思います。

生放送は、生きてる実感がある!
そして4年目。
「めんたいワイド」のニュースキャスターに抜擢された時は、びっくりしたし、すごくうれしかったです。
ただ、それ以上に、「自分にできるのかな?」という不安もいっぱいでした。
あこがれていた若林アナウンサーが長年つとめていらしたポジションなので。
でも部長から、「今すぐ若林と同じことをしてほしいとは思っていないから大丈夫」と励まされ、自分にできることを精一杯やろうと思いました。
ニュースキャスターとは言え、自分のコーナーも持っていますので、ほぼ毎日、午前中はロケに行っています。
会社に戻ったらメイクをして、原稿の尺をとり、下読みなどをして、本番へ。
OA終了後は翌日のためのナレーション録りなどがあります。
忙しい毎日ですが、空いた時間で勉強をし直しています。
めんたいワイドは、扱うニュースが幅広いので、常に勉強が欠かせません。
しかも生放送なので、臨機応変な対応が必要。地震が起きたり、大雨が発生したら、「このコーナーをやめて、こうしよう」と、放送中に内容がどんどん変わっていきます。
災害対応については、若林さんが中心になってまとめてくださった資料を使って練習をしているんですが、それでも私はいまだに混乱し、戸惑うことも多く、そのたびにまわりの先輩に助けていただいています。
生放送は本当に大変。でも、すごく楽しいです。生きてる実感があるというか。
何が起こるかわからない緊張感と臨場感。同じ空間をいろんな人とシェアできる喜びを感じています。

みんなで私を育てようとしてくれた
FBSのいいところは、本当に面倒見がいいところだと思います。
若い社員にもポンと大きな仕事を任せてくれ、うまくいかなくても、丁寧にアドバイスしてくれます。
私がフィールドキャスターをやっていた時も、本当は先輩や上司が原稿を書いた方が早かったと思うんです。
でもあえて私に書かせて、「これ、どういうこと?」「ここは話が行ったり来たりしているから、もっとすっきりさせよう」と、やりとりをたくさんしながら、皆さんで私を育ててくれようとしました。
当時の私は必死にくらいついていくだけでしたが、そのおかげで少しは成長できたんだと思います。
今もそうです。放送後にしっかりダメだしをいただくこともあります(笑)。
でも、そういうことが少なくなってきた時代だからこそ、ありがたいなと私は思っています。
しかもFBSは、いろんな人が気にかけてくれるんです。
入社して半年がたった頃、コロナ禍で話したこともない営業の先輩が、「ニュース、うまくなってるじゃん」とほめてくださって、すごくうれしくて(笑)。
アナウンス部もみんな仲が良くて、同期ともフツーに旅行に行ってます。
他の会社の人にそう話すと、驚かれることが多いんですが(笑)。
仕事が大変なのは、覚悟のうえ。でも、人間関係では悩みたくはありません。
そういう意味では、胸を張って、FBSはいい会社だと言えますね。

被災者や被害者の思いにふれた経験を糧に
めんたいワイドのニュースキャスターになって、まちで声をかけられることも多くなりました。
「愛ちゃん、いつも見てるよ。がんばって!」「最近、うまくなったね」と(笑)。
すごく励みになっていますし、視聴者の皆さんとの距離が近くなった気がします。
本当にたくさんの方が毎日、番組を見てくれて、受け取ってくれる方がいるんだということが実感でき、アナウンサーになってよかった!と思うし、もっとがんばらなきゃいけないと思います。
これからの目標は、信頼してもらえるキャスターになること。
例えば、地震が起きた時に、「テレビをつけて、FBSを見よう。愛ちゃんがなんて言ってるかな?」と思ってもらえるようなキャスターになりたい。
そのためにはきっと近道はないんだと思います。
そう思うと、あのフィールドキャスターとしての経験も、かえがえのない財産。被災者や被害者に取材をした経験。皆さんの思いに直接触れた経験があるからこそ、ニュースを読む時にも、言葉以上の何かをこめることができると信じています。
メッセージ
私、選考を落ちた会社の人事の方に「私はなぜ落ちたんですか?」と聞いたことがあるんです。
そうしたら、「面接の時の回答が、作り込まれすぎていた」と。
そう言われて、気づいたんですよ。
それまでの私は、「話す」ことをおろそかにして、自分の言いたいことばかり準備して、練習していたんだなと。
そうじゃなくて、たとえ自分のいい面ばかり言えなくても、たどたどしくても、そのときの会話を楽しもうと。
そう思うようになってから、選考を通るようになりました。
自己分析などの準備は大事です。でも面接はあこがれの会社の人と話すチャンス。
目の前の皆さんとの会話を楽しんでほしいなと思います。
働き始めて改めて思うのは、報道は、社会に絶対に必要だということです。
ネットも便利ですが、情報の正確性、信頼性で言えば、テレビが負けることはないと思います。
誰かの役に立つ仕事であることは間違いない。
その誇りを持ちつつも、ライバルがたくさんいることを胆に銘じて、メディアとして進化していかないといけないと思っています。
一方、仕事場としてのテレビは、とにかく楽しいです(笑)。
毎日、違うことの連続。生きている実感があります。
やりたい!やってみたい!という気持ち、どんな壁も乗り越える!という気合いだけ持って飛び込んでくれたら、FBSが育ててくれると思います。
このインタビューは2025年に
取材したものです。