2026.03.29
やっぱ、家がよかね~ふるさと七山を診る~
佐賀県唐津市の山間部に位置する七山地区。東京のJR山手線の内側ほどの広大な面積に、約1600人が暮らしています。
そのうち半分ほどは65歳以上の高齢者です。過疎化と高齢化が顕著な七山の出身で、“たった一人の医師”として住民に向き合う男性がいます。
その原点は、かつて無医村となった七山に診療所を開いた父の姿でした。
大切にしているのは「どう死ぬかではなく、どう生きるか」―父が14年前に他界した時の様子や、七山の人たちを診てきた中で学んだことです。
昼夜を問わず、ふるさとのために尽くす医師の思い、そして覚悟を伝えます。
やっぱ、家がよかね~ふるさと七山を診る~
七山診療所の所長で医師の、阿部智介さん(46)。

七山唯一の医師として、診療所での外来だけでなく、診療所に来るのが難しい患者のため、日常的に往診に出かけています。
ある日、阿部先生が往診に訪れたのは、92歳の龍代さんの自宅。
足の傷から細菌が入ったことをきっかけに体が弱り、七山地区の外で入院していましたが、最期は自宅で過ごしたいと七山に戻ってきました。
「おかえり。やっぱ、家がよかね」阿部先生が顔を近づけて声をかけると、うんとうなずく龍代さん。
家族は、入院していた時よりも、龍代さんの反応がはっきりしていると感じていました。それから1か月、龍代さんは、家族と幸せな時間を過ごし、静かに旅立ちました。
阿部先生は父・孝昭さんの背中を追って、地域医療に身をささげてきました。

かつて無医村となった七山に診療所を開いた父が住民のために東奔西走する姿に触れ、阿部先生は物心ついた時から「七山で医師になる」と考えていました。
父が14年前に急逝した日、ふるさとの医療を担っていく覚悟を決め、その決意を示すため頭を丸めました。

七山を駆け回り住民と向き合う中で、阿部先生は「人生の最期をどう生きたいのか」一人ひとりの思いを尊重したいと考えています。
呼吸器につながれていた父を見た時、生きることと生かされることの違いを意識するようになりました。その集大成として形にしたのが「いきかたノート」。
「いきかた」とは、生きかた・活きかた・逝きかた。どのような人生を過ごし、どこで誰と最期を迎えたいのか―ノートに記入して、大切な人と共有します。

4年ほど前に大腸がんを発症した、72歳の和子さん。七山から車で40分ほどの唐津市肥前町で暮らしています。
がんの治療を続けていましたが、去年9月に緩和ケアに移行し、自宅で診てもらいたいと阿部先生に依頼しました。
「いきかたノート」には自身の最期について「可能な限り自宅で」「延命はしなくていい」と書いていました。
歩くことも食べることも困難でしたが、長年連れ添う夫、そして阿部先生の支えで、日常生活と笑顔を取り戻しました。
阿部先生は当初の和子さんの様子を「1か月も生きられないと思った」と振り返ります。それから半年ー和子さん夫婦の穏やかな時間は続いています。
阿部先生は、地域医療を持続可能なものにするには「自分が5人くらい必要」と冗談めかして話します。
それほどの負担を、1人で引き受けているのが現実ですが、決して歩みを止めることはありません。
ふるさとに暮らす一人ひとりが自分らしく生きられるように、阿部先生は住民の健康と命に向き合い続けています。
目撃者f
2026年3月29日(日)深夜1時55分
そのうち半分ほどは65歳以上の高齢者です。過疎化と高齢化が顕著な七山の出身で、“たった一人の医師”として住民に向き合う男性がいます。
その原点は、かつて無医村となった七山に診療所を開いた父の姿でした。
大切にしているのは「どう死ぬかではなく、どう生きるか」―父が14年前に他界した時の様子や、七山の人たちを診てきた中で学んだことです。
昼夜を問わず、ふるさとのために尽くす医師の思い、そして覚悟を伝えます。
やっぱ、家がよかね~ふるさと七山を診る~
七山診療所の所長で医師の、阿部智介さん(46)。

七山唯一の医師として、診療所での外来だけでなく、診療所に来るのが難しい患者のため、日常的に往診に出かけています。
ある日、阿部先生が往診に訪れたのは、92歳の龍代さんの自宅。
足の傷から細菌が入ったことをきっかけに体が弱り、七山地区の外で入院していましたが、最期は自宅で過ごしたいと七山に戻ってきました。
「おかえり。やっぱ、家がよかね」阿部先生が顔を近づけて声をかけると、うんとうなずく龍代さん。
家族は、入院していた時よりも、龍代さんの反応がはっきりしていると感じていました。それから1か月、龍代さんは、家族と幸せな時間を過ごし、静かに旅立ちました。
阿部先生は父・孝昭さんの背中を追って、地域医療に身をささげてきました。

かつて無医村となった七山に診療所を開いた父が住民のために東奔西走する姿に触れ、阿部先生は物心ついた時から「七山で医師になる」と考えていました。
父が14年前に急逝した日、ふるさとの医療を担っていく覚悟を決め、その決意を示すため頭を丸めました。

七山を駆け回り住民と向き合う中で、阿部先生は「人生の最期をどう生きたいのか」一人ひとりの思いを尊重したいと考えています。
呼吸器につながれていた父を見た時、生きることと生かされることの違いを意識するようになりました。その集大成として形にしたのが「いきかたノート」。
「いきかた」とは、生きかた・活きかた・逝きかた。どのような人生を過ごし、どこで誰と最期を迎えたいのか―ノートに記入して、大切な人と共有します。

4年ほど前に大腸がんを発症した、72歳の和子さん。七山から車で40分ほどの唐津市肥前町で暮らしています。
がんの治療を続けていましたが、去年9月に緩和ケアに移行し、自宅で診てもらいたいと阿部先生に依頼しました。
「いきかたノート」には自身の最期について「可能な限り自宅で」「延命はしなくていい」と書いていました。
歩くことも食べることも困難でしたが、長年連れ添う夫、そして阿部先生の支えで、日常生活と笑顔を取り戻しました。
阿部先生は当初の和子さんの様子を「1か月も生きられないと思った」と振り返ります。それから半年ー和子さん夫婦の穏やかな時間は続いています。
阿部先生は、地域医療を持続可能なものにするには「自分が5人くらい必要」と冗談めかして話します。
それほどの負担を、1人で引き受けているのが現実ですが、決して歩みを止めることはありません。
ふるさとに暮らす一人ひとりが自分らしく生きられるように、阿部先生は住民の健康と命に向き合い続けています。
目撃者f
2026年3月29日(日)深夜1時55分



