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あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~
2025.03.30

あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~

今回の目撃者fは、

2005年3月20日、最大震度6弱の揺れを観測した福岡県西方沖地震。福岡県内では、死者1人、負傷者1186人、住宅9685棟に被害が出ました。

「いまある日々はあたり前じゃない」

福岡市西区の玄界島で、当時6歳の時に被災した男性は、当時を振り返り、避難生活や島の復興を経験したからこそ抱いている思いがあります。

一方で、震災から20年がたち、地震を知らない世代が増えています。

被災の教訓を未来にどう繋ぐことができるのか。 

いま改めて、福岡県西方沖地震を振り返ります。
あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~

あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~

福岡県西方沖地震では、最大震度6弱の揺れが福岡市の中心街・天神を襲いました。

当時、百貨店や商業ビルの中にいた人たちの多くが路上に避難。突然の地震に、街中が混乱と恐怖に包まれました。
あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~
多くの人が「まさか福岡で地震が起きるとは思っていなかった」と話します。

震源に近い福岡市西区の玄界島では、およそ半数の住宅が全壊しました。

現在、玄界島は復興を遂げていますが、島の人たちの心には、いまだ震災の爪痕が残っています。
あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~
地震で自宅が半壊した漁師・林博喜さん(63)は、いまも20年前の写真を見ることができないと言います。

林さんの息子・貴喜さん(26)は、被災した当時6歳でした。被災後は、島を離れ、父親と離れて避難生活を送りました。
あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~
2年の避難生活を経て、その後復興する島とともに成長した貴喜さん。被災した経験があるからこそ、いま島や防災に対する強い思いがあります。
あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~
一方で、福岡県西方沖地震から20年が経ち、震災を知らない世代が増えています。

ただ、全国の活断層に詳しい国立研究開発法人産業技術総合研究所の宮下由香里総括研究主幹は、福岡県西方沖地震は、福岡都市圏の地下に存在することが分かっている警固断層帯の北の海側に存在する活断層による地震で、およそ200万人が暮らす陸側で「いつ地震が起きてもおかしくない」と指摘します。
あの日 奪われた日常 ~福岡県西方沖地震20年の教訓~
再び福岡で起きるかもしれない大きな地震に、私たちはどう備えるべきなのか。

20年前の福岡県西方沖地震を振り返り、当時被災した人たちの経験や思いを伝えます。


目撃者f
2025年3月30日(日)深夜1時50分

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