金色のアスリート

放送内容

2019.11.30 OA

杉田妃和 女子サッカー

2011年W杯。女子サッカー史上、初の栄冠。
日本中が沸いた、「なでしこフィーバー」。

MVPに輝いたのは
ボランチとしてチームを牽引した 澤穂希。

そして今。そのポジションを担うのが北九州市出身・杉田妃和(すぎたひな)。
10代から日の丸を背負う天才的サッカーセンス。
ついた異名は、「澤2世」。

プレッシャーとの戦い、
そして、 忘れられない、あのシュート。

「なんであの角度で、ああ持っていっちゃったんだ、みたいな。」
「ホントに悔しかった」

なでしこリーグ・INAC神戸に所属する杉田選手。
今シーズンはベストイレブンにも輝いたチームの中心選手です。

潮田「写真もすき」
杉田「そんな、ベテランの人がとる写真というレベルではなく、ああいいなっていうの撮るのがスキっていう。」

スマホで“映える”写真を撮るのが好きな普通の22歳。

しかし、ひとたびピッチに出れば「チームの頭脳」。
攻守の要となる“ボランチ”を担っています。

中島「守備でも攻撃でもすごく頼りになる選手だとおもいます」
京川「何か・・・化け物がきたなって。自分が練習中に、今のこうできる?って聞いたら できない!みたいな感じで。この子すごい強いんだなって。その印象が強くて。」

チームメイトも一目置く、サッカーへの情熱。
神戸の街でもすっかり、人気選手になりました。

杉田「最初に思ったのが、実家の近くの若戸大橋がそこの赤い橋と似てるなって。見比べると違うけど」
 
北九州市・若松生まれの杉田選手。
兄の影響で、小学2年生でサッカーを始めると地元の名門クラブへ。
監督を務めていたのは、父・徹さんでした。

潮田「練習のときは「監督」って」
杉田「はい、監督って感じだったけど、多分小学校くらいだったんで「おと・・・監督~」みたいな。ちょっとそういうのはあった」

杉田選手の原点となった場所。
その背中を追い、今は女子部員の数も増えています。

父「正直親としてはそんなにまだ女子サッカーとかもさかんじゃなかったんで、やってもらいたくなかったんですよね。で、ついてくるうちに、横でボール蹴って遊ぶようになって、やってみようかな、みたいな。ドリブルはやっぱりうまかったですね。ここがとくに足裏をものすごく使うんですよ。なので、染みついたものかなと思うんですけどね」

クラブで、当時から変わらず力を入れているのがドリブル練習。
特に、足裏を念入りに使った練習は現在の杉田選手の独特なボールタッチに繋がっているそうです。
今回特別に、潮田さんがそのプレーを間近で体感することに。

~潮田さん交わされる~
足裏を使ったボールタッチ。
そして、両足で蹴ることができるのも杉田選手の大きな武器。

実戦で見せる、ターンの速さも特徴です。
小学6年生の時、女子で唯一の九州選抜入り。
中学生になると男子だけのクラブチームに特例として受け入れられます。
ただ、同学年でたった一人の女子部員。 
そこで、最初の挫折を味わうのです。
当時、その姿を近くで見ていたのは総監督をしていた佐々木さん。

佐々木先生「チームのエースクラスの子が多かったので、やっぱり「自分が自分が」という子が集まったんですよね。やっぱりひながボールを持つことに対して男の子が少し不満な点があったり、環境が変わって、男の子の運動能力の高い子どもたちの中に1人入ってそこはとてもきつかったと思いますね。」

杉田「小学校の時は「女子だから」っていう目であまり見られたことがなくて。でも中学になると背丈だったり体つきだったり、っていうところで、まぁ難しいところも出てくるんで。初めてそこで「女子と男子は違うんだ」みたいな感じで気づいたのも、中学の3年間の中で。」

あんなに好きだったサッカーをキッパリやめてしまった時期がありました。

杉田「はい笑 そうですねなんかもういいやーって思って家に帰ってはおばあちゃんと家庭菜園をして。」
潮田「練習にいかなくなった」
杉田「いきたくないってなって。」

サッカーを諦めかけた時。
心動かされたのは、佐々木さんの言葉でした。

(2人でどんな話を?)
佐々木先生「『きみは日本を代表する選手になるからここでサッカーをやめたら悔いも残るし、とにかくこのグローバルでもう1回このグローバルで花をさかせよう』っていう話をしました」

杉田「週1回でもいいし、ちょっとでもいいから顔出すだけでもいいからっていってくれてずっと声かけてくれてて。戻って来やすい環境をずっと作ってくれてて」

根気強く声をかけてくれた佐々木さんの気持ちに応え、チームに戻った杉田選手。
その才能は再び進化を始めます。

これは14歳の頃の映像です。
男子を相手に何度も交わし・・・
得意のドリブルで抜け出す姿がありました。
高校進学後には、世代別代表で2014年、世界一に貢献。
2つの大会でMVPにも輝き“東京五輪世代”として、注目を集めるようになります。
常に攻守の起点となり試合を動かしていく“ボランチ”。
その姿は女子サッカー界のレジェンドを彷彿とさせ、「澤2世」と呼ばれるようになります。

今年6月、スペインとの親善試合。
ボランチの杉田選手は 後半40分。
左サイドからクロスをあげ、得点をアシスト。
これには、この日の解説・澤さんも・・・

INAC神戸で共にプレーしたのは、わずか1年ながら澤さんの、何事も全力な姿勢に刺激を受けたといいます。

そんなレジェンドが、INAC神戸でつけていた「背番号8」。
この偉大な番号を受け継いだのです。

潮田「偉大な方だけに、ぜったいプレッシャーはあると思うんですけど、でもだからこそ、なかなかそういう風に言ってもらえないと思うんですよね、だからそれだけ周りからも認められているからこそ。」
杉田「自分もやっている中で、澤さんになれないと分かっているので、でもそういう風に言ってもらえる分、じゃあその次につけた自分がもっといい成績でその番号を、番号に負けないくらいのプレーヤーになりたいという風には思います」

フル代表デビューは、ことし6月のフランスW杯。
その大舞台でいまも脳裏に焼き付いている、シーンがあります。

杉田「なんであの角度で、ああ持っていっちゃったんだ、みたいな・・・。」

なでしこジャパンのボランチ。
北九州市出身、杉田妃和。
ことし6月のワールドカップ。
ベスト16に進出したこの日も、スタメンに名を連ねました。

前半、オランダに先制されたなでしこジャパンでしたが43分。
エース・長谷川のシュートで同点に追いつき、1進1退の展開に

そして迎えた、後半33分でした。
これ以上ないチャンス、無常にもボールは、クロスバー直撃・・・・

結局この試合で、日本は敗退。
自分を責めました。

潮田「私自身も現役のときに、この1本決めとけばって、夢にまで見ませんか?」
杉田「笑 夢にまで?夢には見たことないけど、夢には見たことないけど、でも、夢にはないですけど、結構その時に、なんであの角度で、ああ持っていっちゃったんだ、みたいな。ちょっとこうしていれば、みたいなのがすごい出ますね。その悔しさがある分、自分の気持ちをもう1回もっと頑張れよって押してくれる・・・そういう結果でもある」

気持ちは、次のステージへ―
今月行われた、初の地元凱旋試合では原点の地で、堂々とプレーする姿がありました。

次に目指すのは、もちろん東京オリンピック。
代表の座を勝ち取るため―。 思いは高まります。

杉田「本当に高校生の時からオリンピックって言われてきて、世代的にもって言われることが多くて、でもそれが本当に来年って思うと早いなって思うし、やっぱりオリンピックのメンバーに入ってもう1回世界の舞台でW杯で悔しかった思いっていうのを、もっとプレーで表現できたらいいなっていうふうに思います」

悔しい想いをした分、きっと強くなれる。
2020年、大きな花を咲かせよう―