2019.6.29 OA
鈴木 聡美 競泳(平泳ぎ)
「アメリカのソニが1位、世界記録!鈴木聡美、銀メダル!!」
福岡県遠賀町(おんが・ちょう)出身、
競泳・平泳ぎの鈴木聡美(すずき・さとみ)選手。
ロンドンの舞台で3つのメダルを獲得し、世界のトップスイマーとなりました。
しかしー
その後、メダリストとしての重圧に苦しみます。
自分の泳ぎを見失い、不振に陥りました。
もう一度、あの舞台で輝く。
自分自身を見つめ直す日々。
そして去年、再び輝き始めた鈴木選手。
世界の表彰台へと戻りました!
「怖がることなく自分らしい泳ぎをしたいと思います」
オリンピック3大会連続出場を目指して。
「完全復活」で、東京オリンピックを目指すアスリートの姿に迫ります。
富士山を臨む、山梨県・甲府市。
ここで、学生時代を過ごした鈴木選手は社会人となった今も、母校・山梨学院大学で練習を続けています。
潮田「こんにちは、すみません練習の合間に。」
鈴木「とんでもないこちらこそよろしくお願いします」
潮田「趣味があるんですよね?」
さっそく趣味の話題にー
鈴木「私すごくゲームが大好きで」
遠征にも持っていくというゲーム機。
リラックスして試合に臨むための大事なアイテムでもあります。
他にも、マンガが大好きだという鈴木選手。
お気に入りは、少年漫画の「ワンピース」
自宅のいたるところに、コレクションが飾られています。
「自分の好きなものを目に見えるところに置いてモチベーション上げるようにしています」
潮田「何のキャラが好きなんですか?」
鈴木「私ゾロが1番好きなんですよ」
潮田「私はエースが好きなんですけど」
鈴木「あーでも分かります!」
そんな鈴木選手の強さの秘密。
それは、ある練習方法にありました。
「懸垂がよく使われています」
プールサイドに、鉄棒があるのは珍しいと言います。
潮田「私も言っても一応アスリートだったのでちょっとやってみてもいいですか?」
一方の鈴木選手。
潮田「わー、すごーい!かっこいい!」
潮田「けっこう幅広く取った方がやりやすいですか?」
鈴木「幅広めに取った方が肩甲骨に意識は向けやすい。肩から先だけではしっかりと(水を)持ってこれないので」
これまで、山梨学院・伝統の懸垂で徹底的に上半身を鍛えてきました。
そうして手にしたのは1日120回もの懸垂に耐えられる筋力
上半身の筋力は、前に進む力に直結する大事な要素。
鈴木選手は、鍛え上げられたその腕で力強く水をかき、大きく伸びのある泳ぎが特徴です。
福岡県・遠賀町(おんがちょう)出身。
水泳を始めたのは4歳のとき。
泳ぐのが大好きな少女でした。
大学入学後、突如注目を集めます。
1年生の時、100メートルの当時の日本記録を更新。
一気にオリンピック選手へと上り詰めます。
天性の素質に大学の指導がうまくかみあったと当時から指導するコーチは話します。
「今まではやらなかったんだけど大学に入ってから無理やりいろんなことをやるようになって枠が大きくなって成長した。筋パワーは他の選手よりも強いですね。抵抗の軽減というのをパワーがある中で前面に打ち出して指導してきたんでそこが強みかなと思います」
そして迎えた、2012年のロンドンオリンピック。
200mで、銀メダルを獲得!
さらに2つの銅メダルも加わります。
個人で複数のメダルは、日本女子史上初の快挙でした。
潮田「初めての五輪いかがでしたか?」
鈴木「かなり楽しかったですね。勢いづいていたので怖い物知らずでしたしイノシシのように猪突猛進でそのまま行ってしまったというイメージでしたね」
新たなヒロインの誕生。
帰国後は一躍時の人となりました。
地元・遠賀(おんが)のパレードには、1万人がつめかけました。
しかし…
大きく変わった環境にその心はついていくことができなかったのです。
鈴木「もともと目立ちたがりというわけでもないので私服を着てても声をかけられるので、ありがたいことなんですけれどもどうしようっていう、戸惑いの方が大きくてなかなか外に出るのもおっくうになっちゃったりとか」
潮田「そのちょっとマイナスな気持ちが自分のパフォーマンスにも影響しましたか?」
鈴木「なるべくその考えはなくそうなくそうとは思っていたんですけれどもやっぱり人の視線が気になったりとか、オリンピック終わったのに、まだ言われる。また言われるんじゃないかという」
メダリストとしての大きなプレッシャー。
周囲の視線に萎縮するうちに泳ぎに狂いが生じます。
国際大会で結果が出ない…。
2015年、ついにロンドン後初めて代表入りを逃します。
鈴木「自分で解決できて当たり前って思っちゃったんですね。頼ることをしなかったんですね」
潮田「つらかったでしょう?」
鈴木「かなりつらかったです」
鈴木選手を支え、ロンドンでも歓喜の瞬間を分かち合った両親。
結果の出ない歯がゆさをぶつけられたこともありました。
「試合会場で見る表情や泳いだ後の表情、試合に臨む前の表情を見たときに、泳ぎを楽しめていないなというのが見えた。本人にそんなに苦しかったら続けなくていいよと言ったら“なんでね!”“そんなのは自分で決めること”“誰がやめるとか言ったね”って。あの人の心が安定していない時は(会いに)行くたびにバチバチとなりました。自分も反省しますけれどもね」
「準決勝第2組スタート」
2016年のリオオリンピックでは、代表入りこそ果たしたものの、まさかの準決勝敗退。
やっぱりだめか。
そんな時、勇気を与える存在が。
自分と同じ平泳ぎで、金メダルに輝いた金藤理絵(かねとう・りえ)選手。
当時27歳でした。
鈴木「間近で見ていて自分の中でも感動して社会人でもまたすごい記録出せるんだな、理絵さんが出せるなら私も出せるはず」
2つ年上の、金藤(かねとう)選手から刺激を受け、がむしゃらに泳ぎ込んだ鈴木選手。
心にある変化が現れます。
鈴木「泳いでいるうちにおとなしさ、女性らしさを出したら限界を超えられないなということに気づきまして」
潮田「気持ちが落ちるところまで落ちて初めて分かった部分でもあるんですかね?」
鈴木「使い分けが大事なんだなということもそこで学べました。プールサイド、水の中にいるときはきつい時はきっちぃよふざけんなみたいな感じの言葉づかいもでたりしますし、しんどいわお前さっさといけよとか言ったりするんですけれども、それが本来の自分でもあるし競技の上ではそうでないと自分を超えられないので。陸に上がった際は女性として大人としての対応を心がけています」
ふっきれたことで集中力を取り戻した、鈴木選手。
「復活」に向け、光が差し始めました。
去年8月の国際大会。200メートルでロンドン以降初の決勝進出。
実況「スタート」
持ち味の、力強く伸びのある泳ぎで先頭に食らいつき、そのまま折り返します。
そしてレースは終盤へ。
「抜け出せるか!さあどうだ!日本の鈴木聡美が銅メダル!鈴木聡美が世界の表彰台に戻ってきました!」
あのロンドンから栄光と挫折を味わってきた6年間。
ようやく今、自分の泳ぎを取り戻しました。
1か月後のアジア大会でも3つの金メダルを獲得と、「復活」を遂げたのです
「臆することなく今までのやってきたことを発揮できる勇気を持てたことが収穫。本当に苦しかったんですけれども 勝つためには悔しさも苦しさも必要だなと実感した」
「やってきたことは間違いじゃなかった。東京オリンピックに向けてのいい手応えと自信を持てたレース。誰よりもパワーをつけて自己記録を更新できるような泳ぎを来年に向けて作り上げたい」
今年5月のジャパンオープンでは世界選手権の切符を逃す、悔しい結果。
それでも、その表情は、前を向いていました。
東京へ。勝負はこれからです。