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ホークス情報

2017年8月20日

僕たちの、夏 ~甲斐拓也~


【甲斐選手】
「監督さんに呼ばれて明日から
 キャッチャーやらんかと言われて、
 すぐはいやりますと。」


キャッチャー人生のスタートは高校時代。


憧れの聖地を目指し
白球を追いかけた3年間。


【甲斐選手】
「めちゃくちゃ悔しい試合でした。」


そして、忘れることのできない
今も胸に残る「言葉」との出会いがありました―



僕たちの、夏 ~甲斐拓也~



育成出身・甲斐拓也選手。
今シーズン、プロ初のスタメンマスクを果たすと
キャッチャーとしてここまでチーム最多の65試合に先発。
7年目で大きな飛躍を遂げようとしています。
※8月19日現在


【甲斐選手】
「きついことが多いですし、苦しいこともたくさんありますけど、
 ただやっぱり勝った瞬間に、
 ピッチャーとハイタッチできる瞬間というのは
 それこそ幸せなことはないのですごくそこはやりがいを感じますね。」



守備でも盗塁阻止率はリーグトップ。※8月19日現在
持ち味の強肩と素早く正確なスローイングで
幾度となくチームを救ってきました。



そんな甲斐選手が野球を始めたのは
小学校1年生の時。
野球をやっていた兄に憧れ
地元の少年野球チームに入部。
グローブを手にして
大好きな野球に打ち込みました。



そして、中学生の時、兄・大樹さんが
エースとして大分・楊志館高校を
初の甲子園出場に導きベスト8入り。
甲斐選手はその勇姿を
スタンドから目に焼きつけました。



【甲斐選手】
「アルプススタンドで見て自分の兄貴が投げてる姿を見て、
 すごく自慢でもありましたし、
 自分もここで野球をしたいなという思いはもちろんありましたね。」



高校は兄と同じ楊志館高校へ進学。
すると1年の夏、大きな転機が訪れます。


【甲斐選手】
「中学までは内野を、セカンドをやっていたので、
 キャッチャーを本格的にやり始めたのは高校1年生の夏ですね。
 そのときの監督さんに呼ばれて
 明日からキャッチャーやらんか」と言われてすぐやりますと、
 それで次の日からキャッチャー道具をつけてやりましたね。」



甲斐選手をキャッチャーに
コンバートしたのが
当時、チームを率いていた宮地監督です。


【楊志館野球部元監督・宮地さん】
「チームとしてキャッチャーが不在であったという部分が1つと、
 コーチ等から拓也がキャッチャーしてるところ見たんですけど
 非常にいいですよという風な話を聞いたので、
 ちょっとやってみようかと本人と話をしてキャッチャーをやらしたんですけど、
 そこがうまくはまりましたよね。」


チーム状況やコーチからの助言、そして監督の決断。
いくつかの偶然が重なり
キャッチャー甲斐拓也が誕生しました。


【甲斐選手】
「独特なポジションというか、1つしかないポジションでもあるので、
 そういうところをやりたいなと思ったのもありますし、
 ワクワク感というか、そういう気持ちがあったのは覚えてます。
 スローイングという部分に関してはいろいろ考えましたし、
 どうやったら速く投げられるかなとかどうやったら
 あすこに強く投げられるかなと考えてましたね。


【楊志館野球部元監督・宮地さん】
「上手くなりたいという気持ちは人一倍強かったと思います。
 まず肩は良かったですよね、肩、それからキャッチング、
 また相手チームを見る洞察力といいますかそういった部分も
 教えてもなかなか出来ないことが彼には出来てましたよね。
 ランナーの動きを見ながら飛び出したら
 けん制で刺してみたりとかいうようなことはよくやってましたよね。」


キャッチャーとしての資質を見いだされ
チームの中心選手へと成長。
そんなとき、学校での規則違反を咎められ
監督から居残り練習を課されたことがありました。


【甲斐選手】
「練習終わって(監督に)呼ばれて、100周走れと言われて、
 みんな帰った後、僕は1人でタイヤ引いて
 雨が降ってたんですよ、雨降ってても宮地先生は
 ずっと立ってずっと走ってるの見てたんですよ。
 で終わってそれが終わった時に宮地先生から
“俺はお前を信用している”と言われて
 素直にうれしかったですし、その分何とか力をつけて勝てるように、
 このチームが勝てるようにっていう思いがさらに強くなったというか、
 任せられてる分しっかり責任もってやらないとなと思いました。」


チームの力になりたい。
強い決意の先に見たのは甲子園。


2年生の夏は、ベスト4をかけ
当時、3年生の今宮選手がいた明豊高校と対戦。


【楊志館野球部元監督・宮地さん】
「ある程度バッテリーはきちっとできあがっていたので、
 本当に強打の明豊さんでも最少失点で、
 1点ないし2点以内の勝負になると思ったくらいに
 しっかりバッテリーができていましたよね。」


楊志館は初回、
今宮選手から2者連続三振を奪われると―


直後の2回、甲斐選手がサインを出した
内角の変化球を
ライトスタンドに運ばれ先制を許します。


反撃したい楊志館も
今宮選手の前に打線が沈黙。


最後は甲斐選手が三振に倒れ完封負け。
ホームランによる2点が勝負を決めました。


【甲斐選手】
「今でも覚えてますし、
 一球の怖さというのをその時感じた試合でもありましたし、
 それは一球をもっと大事にしないとなという風に
 改めて思った試合でしたね。」



そして、高校最後の夏も1回戦敗退。
甲子園出場の夢は叶いませんでした。


それでもキャッチャーとしての可能性を見出され
その年のドラフトでホークスが育成選手として指名。
プロへの第一歩を踏み出します。


【甲斐選手】※2010年育成選手新入団会見
「負けん気で這い上がっていきます。
 そして、今までお世話になった方々に
 野球で恩返しをしていきたいと思います。」


持ち前の負けん気で育成から這い上がり
いまや大観衆の前でプレーする甲斐選手。


そんな甲斐選手が
守備に就くときに必ず行う儀式があります。
グラウンドに指で書くひと文字。

『心』


【甲斐選手】
「高校の時にあっこさんというマネージャーがいたんですけど、
 野球が大好きな方でいつも一生懸命やられてた方で、
 あっこさんが「心」という言葉を書かれて、
 当時の大会で「心」という言葉を
 チームとして大事にしてやってたので。」


甲斐選手が1年のとき、
野球部マネージャーを務めていたのが
3年生の大崎耀子さん。


当時、末期の上咽頭がんと宣告を受け
入退院を繰り返しながらも
マネージャーとして野球部を支えていました。


【楊志館野球部元監督・宮地さん】
「彼女あっての揚志館野球部といっても
 おかしくないんじゃないかなというくらいに
 野球を愛して選手を愛してくれたマネージャーですね。
 彼女が闘病生活でこれからチームを離れていくチームを離れる中で、
 心でつながっていくという、ただそこじゃないですかね、目に見えない。
 彼女は闘病生活をしながらチームを思い、チームも彼女を思い、
 心でしっかりつながってた部分じゃないですかね。」


1年生でベンチ入りした甲斐選手にとって忘れられない
耀子さんと過ごした、あの夏。


聖地・甲子園を目指し、
最高の仲間と心と心を通わせた時間でした。


しかし、その3か月後、
大崎さんは遠い空へと旅立ちました。




楊志館高校野球部の練習グラウンドにある小さな花壇。
耀子さんが旅立った9年前から
野球部を優しく見守っています。


もうじき太陽に向かって
ヒマワリの花が咲き誇ります。


育成入団から7年。
甲斐選手もプロという大舞台で
いま、大輪の花を開こうとしています。
高校時代にもらった大切な言葉を胸に―


【甲斐選手】
「あっこさんの言葉かな、今でも大事にしているので
“心”という言葉は大事だなと思いますし、
 その気持ちを持って僕もやらないといけないなと、
 改めてじゃないですけど野球できてる幸せを感じれてるので
 1日1日を必死にできるようにと思って、
 再確認するためにもその言葉を大事にしてます。」

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