
2020.06.16
夢に縛られた“闇”アイドル降臨⁉ 復活の『美食探偵 明智五郎』第7話を深読み!
待望の本編再開!日曜ドラマ『美食探偵 明智五郎』がいよいよ復活です。
3回にわたって放送された特別編も面白かったですが、ファンとしては話の続きが気になって仕方なかったところ。はたして物語は今後どう展開していくのでしょうか。
第7話は、マグダラのマリア(小池栄子)の魔の手が小林苺(小芝風花)の友人にまで及び、物語が佳境に近づいてきたことを予感させる内容でした。地下アイドル「爆音エンジェルズ」として活動するココ(武田玲奈)からストーカー被害の相談を受けた明智五郎(中村倫也)と苺。ココや「爆音エンジェルズ」のメンバーを守るため、事務所で共同生活を送ることにしたが、そのなかで明智はココが摂食障害であることに気づく。アイドルとして人前に立つプレッシャーに苛まれるココに対し、ストーカー田畑(森永悠希)の異常行動はさらにエスカレート。精神的に追い詰められるココを案じる明智と苺だったが、彼女の心を解き放ったのはまたしてもマリア。悪魔のささやきにココの“天使の翼”は黒く染められてゆく…とういう内容でした。
このところ主導権はマリア側。攻め手が一枚上手で、守勢の明智や苺は完全に翻弄されている感があります。普段は冷静な明智もかなりの焦燥感を漂わせていましたが、それでも明智とマリアはどこかで求め合っているようにも思えます。絆にも似た、奇妙で危険な縁。第6話でそれを実感させられた苺は、明智と距離を置こうとしますが、明智と苺の絆も負けてはいません。眠れないココに、申し合わせたようにホットミルクを勧める場面は、2人の心の繋がりを示す温かなシーンでした。よく「男を落とすには胃袋を掴め」と言いますが、明智にとって何よりも重要な胃袋を掴んでいるのは、紛れもなく苺。三角関係の決着は、まだまだ見えません。
アイドルの苦悩。夢に縛られ、白い羽は黒く染まる。
今回の物語も、社会問題を深くえぐっていました。昔に比べ、現在はアイドルという存在がとても身近なものになってきましたが、同時にファンとの距離感の難しさも孕んでいます。ストーカー役の森永悠希さんの怪演には背筋が凍りました。近いがゆえに、疑似恋愛とリアルな恋愛の垣根を簡単に越えてしまうファン。そこに「会えるアイドル」「手の届くアイドル」の危険性がある気がします。
ストレスの多い現代社会において。ココのように摂食障害に悩む人は多いと聞きます。人生をかけて夢を追う情熱に隠れた、若さゆえの危うさと脆さ。華やかな舞台の裏では、地道な努力や他人にはわからない苦労、悩みもあるでしょう。夢を実現し明るい未来を切り開くための努力のはずなのに、それが精神をすり減らしてゆくという矛盾。「この羽は誰にも奪えない」―。ココにとって、夢はいつしか呪縛になってしまっていたのかもしれません。
偶像を演じ続けることに疲弊し、夢に“追われる”アイドル、偶像にリアルな恋をし、支えることより支配することを望んでしまうファン。どちらも天使が堕天使になる姿であり、人の心の光と闇が紙一重であることを表しているようです。
個人主義への警鐘?マリアファミリーの正義に物申す!
明智や苺が懊悩する一方、マリアファミリーは生き生きとしてきました。心を解き放ち、自由を謳歌しているよう。マリアは言います。「思ったことを口にして実行する。そんな簡単なことができないかわいそうな人たちであふれている。この世界は」と。そしてそんなマリアの甘美なささやきにのってしまったココは、ストーカーに毒キノコを食べさせ、「私は私でいいんだ」と高らかに宣言します。
真面目に反論して恐縮ですが、これはダメです。解放、自由、「私は私」。耳に心地よい響きばかりですが、人間が社会の中で生きている限り、ルールという制約は受けなければなりません。みながみな好きなことをやり、好きなように生きれば社会は崩壊します。もしあなたが「やりたいことをやれている」としても、その陰では必ず「やりたくないことをやっている」人がいるのが社会。つまり、その自由は与えられたものなのです。「私は私」でいい。けれど、自分は生かされているという気づきもまた必要なことでしょう。個人の権利は尊重すべきですが、そればかりが先行すると社会はバランスを欠きます。今回の物語には、いきすぎた個人主義への警鐘が含まれているのかもしれません。ココの名の由来はひょっとして「個々」から?と思っちゃいましたが、考えすぎでしょうか。
次回はマリアの殺意がついに苺へと向かう模様。生死不明だったみどりことれいぞう子(仲里依紗)も生きていましたし、物語はクライマックスへと突き進みます。三角関係の結末が気になりますが、個人的にはやっぱり苺ちゃんに軍配が上がってほしいところ。とはいえ、このドラマが素直なハッピーエンドで終わる気はせず…う~ん、やきもきします。
イラスト鎌田かまを
3回にわたって放送された特別編も面白かったですが、ファンとしては話の続きが気になって仕方なかったところ。はたして物語は今後どう展開していくのでしょうか。
第7話は、マグダラのマリア(小池栄子)の魔の手が小林苺(小芝風花)の友人にまで及び、物語が佳境に近づいてきたことを予感させる内容でした。地下アイドル「爆音エンジェルズ」として活動するココ(武田玲奈)からストーカー被害の相談を受けた明智五郎(中村倫也)と苺。ココや「爆音エンジェルズ」のメンバーを守るため、事務所で共同生活を送ることにしたが、そのなかで明智はココが摂食障害であることに気づく。アイドルとして人前に立つプレッシャーに苛まれるココに対し、ストーカー田畑(森永悠希)の異常行動はさらにエスカレート。精神的に追い詰められるココを案じる明智と苺だったが、彼女の心を解き放ったのはまたしてもマリア。悪魔のささやきにココの“天使の翼”は黒く染められてゆく…とういう内容でした。
このところ主導権はマリア側。攻め手が一枚上手で、守勢の明智や苺は完全に翻弄されている感があります。普段は冷静な明智もかなりの焦燥感を漂わせていましたが、それでも明智とマリアはどこかで求め合っているようにも思えます。絆にも似た、奇妙で危険な縁。第6話でそれを実感させられた苺は、明智と距離を置こうとしますが、明智と苺の絆も負けてはいません。眠れないココに、申し合わせたようにホットミルクを勧める場面は、2人の心の繋がりを示す温かなシーンでした。よく「男を落とすには胃袋を掴め」と言いますが、明智にとって何よりも重要な胃袋を掴んでいるのは、紛れもなく苺。三角関係の決着は、まだまだ見えません。
アイドルの苦悩。夢に縛られ、白い羽は黒く染まる。
今回の物語も、社会問題を深くえぐっていました。昔に比べ、現在はアイドルという存在がとても身近なものになってきましたが、同時にファンとの距離感の難しさも孕んでいます。ストーカー役の森永悠希さんの怪演には背筋が凍りました。近いがゆえに、疑似恋愛とリアルな恋愛の垣根を簡単に越えてしまうファン。そこに「会えるアイドル」「手の届くアイドル」の危険性がある気がします。
ストレスの多い現代社会において。ココのように摂食障害に悩む人は多いと聞きます。人生をかけて夢を追う情熱に隠れた、若さゆえの危うさと脆さ。華やかな舞台の裏では、地道な努力や他人にはわからない苦労、悩みもあるでしょう。夢を実現し明るい未来を切り開くための努力のはずなのに、それが精神をすり減らしてゆくという矛盾。「この羽は誰にも奪えない」―。ココにとって、夢はいつしか呪縛になってしまっていたのかもしれません。
偶像を演じ続けることに疲弊し、夢に“追われる”アイドル、偶像にリアルな恋をし、支えることより支配することを望んでしまうファン。どちらも天使が堕天使になる姿であり、人の心の光と闇が紙一重であることを表しているようです。
個人主義への警鐘?マリアファミリーの正義に物申す!
明智や苺が懊悩する一方、マリアファミリーは生き生きとしてきました。心を解き放ち、自由を謳歌しているよう。マリアは言います。「思ったことを口にして実行する。そんな簡単なことができないかわいそうな人たちであふれている。この世界は」と。そしてそんなマリアの甘美なささやきにのってしまったココは、ストーカーに毒キノコを食べさせ、「私は私でいいんだ」と高らかに宣言します。
真面目に反論して恐縮ですが、これはダメです。解放、自由、「私は私」。耳に心地よい響きばかりですが、人間が社会の中で生きている限り、ルールという制約は受けなければなりません。みながみな好きなことをやり、好きなように生きれば社会は崩壊します。もしあなたが「やりたいことをやれている」としても、その陰では必ず「やりたくないことをやっている」人がいるのが社会。つまり、その自由は与えられたものなのです。「私は私」でいい。けれど、自分は生かされているという気づきもまた必要なことでしょう。個人の権利は尊重すべきですが、そればかりが先行すると社会はバランスを欠きます。今回の物語には、いきすぎた個人主義への警鐘が含まれているのかもしれません。ココの名の由来はひょっとして「個々」から?と思っちゃいましたが、考えすぎでしょうか。
次回はマリアの殺意がついに苺へと向かう模様。生死不明だったみどりことれいぞう子(仲里依紗)も生きていましたし、物語はクライマックスへと突き進みます。三角関係の結末が気になりますが、個人的にはやっぱり苺ちゃんに軍配が上がってほしいところ。とはいえ、このドラマが素直なハッピーエンドで終わる気はせず…う~ん、やきもきします。
