金色のアスリート

放送内容

2019.4.27 OA

米倉 英信 体操(跳馬)

ことし2月、オーストラリアでの国際大会。
1人の日本人選手が世界で初めての大技を決めた。
男子体操・跳馬で最高難度の技に成功した、福岡大学・米倉英信(よねくら・ひでのぶ)。

今月、国際体操連盟はこの技を“ヨネクラ”と命名した。

米倉「ヨネクラという技と一緒にオリンピック出場へ走って行けたらいいなと思います」

体操の歴史に名を刻んだ福岡の大学生。
小柄な体から繰り出される、驚異の技に迫る―。


福岡市城南区の福岡大学。

潮田「こんにちは~すみません練習中に。はじめまして、潮田です」
米倉「米倉です。」

福岡大学体操部の4年生、米倉英信。
さっそく、得意の跳馬を見せてもらう。

潮田「うわ~、すごい~。圧巻です、圧巻。」
潮田「体操選手といえば筋肉隆々な体じゃないですか。見たいな~。…すごい!すごいですね。めちゃめちゃカッコいいですね、彫刻みたい。いいですか?…思ったより柔らかい!全部競技をしながらの鍛えた筋肉?ヤバいですね、ニヤニヤしちゃう(笑)変態(笑)」
潮田「ちょっと跳んだりとかしても…?」
米倉「大丈夫です、どうぞ」
潮田「トランポリンとはまたちょっと…?」
米倉「ちょっと硬いです」
潮田「そんなに跳ねないですね!」
米倉「けっこう走って来て強く踏むので…」
潮田「一発バーンって踏んで…」
米倉「手を着いて…」
潮田「クルクルッ、ですよね」

“お家芸”とも言われる日本の男子体操。
これまでにオリンピックで獲得したメダルの総数は、98個にものぼる。

体操競技はゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒の6種目で構成され、個人総合や団体のほか、各種目別でもメダルをかけて争われる。

米倉はそのひとつ、跳馬のスペシャリストとして来年の東京オリンピックを目指している。

跳馬が一躍脚光を浴びたのが、3年前。

リオデジャネイロオリンピックで、日本の白井健三が銅メダルを獲得。
日本男子で跳馬のメダル獲得は32年ぶりだった。

それから3年。白井も出場した全日本種目別選手権に米倉の姿があった。
2本の演技で競われる跳馬、その決勝1本目。

高得点をたたき出し、全体トップに立つ。

続く2本目も見事に成功し、オリンピック銅メダリストの白井を抑え初優勝。
跳馬の日本王者になった。

潮田「跳馬の魅力って何だと思いますか?」
米倉「すぐ終わるところです」
潮田「あはは。そうなんですか?」
米倉「一瞬で終わっちゃうのが」
潮田「(助走から着地まで)10秒くらいですか、すぐ終わるのがいいなって?」
米倉「はい、楽というか」

米倉の強さの秘密とは―
福岡大学体操部の貞方(さだかた)監督はこう分析する。

貞方「自分がどこにいるのかを把握する能力が長けていて“空中感覚”と言うんですけど、そこは優れていると思います。」

わずか1秒足らずの滞空時間で、自分の位置を感じ取る力。
それが発揮されたのは去年の全日本種目別選手権、決勝2本目の演技だった。

米倉「入りが“詰まる”というか、縦の回転が足りないと思って。土下座みたいにコケちゃうんじゃないかというのが空中に出た瞬間にあって。ヤバいと思って思い切り足を地面の方に入れ込んで、地面に足を付けに行ったらちょうど止まって」

抜群の空中感覚を生かし、瞬時に修正する能力が米倉の強みだ。

福岡市出身の米倉が体操を始めたのは4歳の時。
元体操選手の父・信彦(のぶひこ)さんは息子の身体能力の高さを幼少期から感じていたという。

父「バランス感覚はすごく良かったかなと思いますね。手に乗せてみたり立たせてみたり、そういうことは出来ていましたから体をコントロールすることは秀でていたかなと思います」

中学卒業後は岡山の名門・関西(かんぜい)高校に進学。
一日7時間、休日には10時間を超える厳しい練習で力を付けた。

その高校時代、ある悔しいあだ名を付けられたという。

潮田「なんて付けられたんですか?」
米倉「“シルバーマン”です」
潮田「それは誰が言ったんですか?」
米倉「高校の時の監督に言われました。(跳馬で)本当に優勝を何度も狙っていたんですけどそのたびに全部2番で終わってしまって」
潮田「いわゆるシルバーコレクター?あー、それで」
米倉「半ば怒られ気味な感じで。『いつになっても一位になれんな』みたいな。皮肉交じりな感じで、『お前シルバーマンや』みたいな。」

シルバーマン脱却へ―
米倉が選んだ進学先は、子どもの頃から練習に通っていた福岡大学。
3年生のとき、世界最高レベルの新技に挑み始めた。

米倉が高校時代から得意としていたのは横3回転の「ロペス」。

一方、新技はこれに半回転を加え、横3回転半。

助走から踏み切りと同時に側転。
体を伸ばした状態で、縦・横に1回転。
さらに横に2回転、3回転、最後にもう半回転。

2つの技を比べてみると、途中までの動きはほぼ同じ。
新技は着地の寸前で半回転加えるため、緻密な空中感覚を必要とする。

新技を引っ提げ、挑んだ去年の全日本種目別選手権。

技の難しさへの評価は「5.6」から「6.0」にアップ。
世界でも最高難度の技を決め、米倉が優勝を果たした。
胸元に輝くのは金メダル。シルバーマン卒業のときだった。

潮田「(全日本での初優勝は)嬉しかったと思うんですけど、あだ名をつけた先生に連絡とかしたんですか?」
米倉「すぐしました」
潮田「あはは!何て言ったんですか?」
米倉「『シルバーマンじゃなくていいですか?もう。』みたいな。したら『いいよ』って。」
潮田「『いいよ』って?謝ってほしいですよね笑 『ゴールドマンでいいよ』って?」
米倉「『ゴールドマンでいいよ』って言われました」
潮田「してやったり、という感じですよね?嬉しかったんじゃないですか?」
米倉「けっこう嬉しかったです」

この優勝のあと、初の体操日本代表入りを果たした米倉。
東京オリンピックへの挑戦を決意し、国際大会の舞台に飛び出す。
かつてシルバーマンと呼ばれた少年が、世界にその名を轟かせる。

オーストラリア・メルボルン。
ことし2月、体操種目別ワールドカップに米倉の姿があった。
オリンピック出場へ、メダルが求められる大会だ。

この大会で、世界最高難度・横3回転半の新技を披露。
国際大会の成功は世界初の快挙だった。

国際体操連盟は今月、その技に「ヨネクラ」の名を付けた。
体操の歴史にその名を刻んだのだ。

米倉「この先自分が競技を引退してから、どんどん名前が浸透していくというのは嬉しいです」
潮田「そうですよね、世界中で体操をやっている子どもたちが『ヨネクラ』『ヨネクラ』言ってるんですよね、そう思うとすごい」
しかしこの大会、表彰台に米倉の姿はなかった。
着地の乱れにより、大きく減点。
世界の壁を痛感した大会だった。

潮田「東京五輪まで一年半切ってますよね、どう受け止めてます?」
米倉「またワールドカップがあるので、そこで勝ち続けないと本当に出られない。これから先国内でも国外の大会でも、もう一回も負けちゃいけないな、という意識はあります」

目下の課題は着地の精度。
秋以降の国際大会での実績が、オリンピック出場へのカギとなる。

米倉の真価が問われるのはこれからだ。
来年の夏、東京で跳んでみせる。“ヨネクラ”を。

米倉「オリンピックで金メダル!!」