金色のアスリート

放送内容

2018.11.24 OA

福岡 堅樹(ラグビー日本代表)

4年に1度、スポーツの祭典オリンピック。
世界的ビッグイベントが2020年、東京で開催される。

前回、リオデジャネイロオリンピック、日本は過去最高41個のメダルを獲得。
選手たちの熱い戦いに日本中が熱狂した。

開幕まで2年を切った今、東京の地で活躍が期待される地元・福岡、佐賀に縁(ゆかり)あるアスリートをFBSが独自取材。

選手たちの魅力を伝える番組ナビゲーターは…
潮田玲子。
2008年・北京オリンピックでバドミントン女子ダブルス5位入賞。
2012年のロンドンにも混合ダブルスで出場し、2大会連続のオリンピックを経験。

現在は2児の母として育児にも励む福岡出身の元オリンピアンが選手たちの魅力を伝えます。

「福岡・九州出身のアスリートの頑張りを伝えられるのは嬉しかったですね。(自分自身が)元アスリートっていうのもあるので、現役の選手が普段なかなか言えない本音の部分を言ってもらえるようなインタビューやそういう姿を皆さんに伝えていきたい。」
2020年、東京オリンピックへ
記念すべき初回、
金色のアスリートは…

ラグビー日本代表・福岡堅樹。

潮田:福岡の古賀市出身、福岡の想い出
福岡:そうですね。高校までの18年間は福岡で暮らしてきて、今、離れてみるとご飯がおいしかったなと色んな人に言われるが、ほんとにいいとこだなと思いますし、将来、帰れたらいいなと。
潮田:じめてお会いしたんですけど、お顔は小さいのに体、ふくらはぎはすごいですね。
福岡:これでも小さい方なんです。

日本ラグビーが誇るスピードスター。
笑顔がトレードマークの26歳・ラグビー日本代表・福岡堅樹の(金色の明日に)魅力に迫りました。
2015年、ラグビーワールドカップ。
過去2度、W杯を制した南アフリカを相手に大金星を挙げた日本代表。
ラグビー史に残る勝利で世界に衝撃を与えた。
東京オリンピックの前年、2019年にはラグビー世界一を決めるワールドカップが日本で開催。
ここ福岡でも3試合、世界のプレーを肌で感じることができる。

潮田:来年、日本でW杯。ラグビー知らない人にラグビーの魅力。
福岡:なかなか感じることのない人と人がぶつかる音だったり
潮田:すごいですよね。何度も観戦に行ったことあるんですけど、骨と骨がぶつかって、最初はすごい衝撃で折れたんじゃないのって思うくらいすごいですよね。
福岡:そういう迫力は現地に来ないとわからない部分でもありますし
潮田:どんな1年にしていきたい
福岡:いざW杯が終わった瞬間に後悔の残らないやりきったと誇れる1年間にしたいと思っています。

福岡県、古賀市出身。
ラグビー経験者の父・こうじろうさんの影響で5歳からラグビーを始めた。
ポジションはウイング。
50m5秒台のスピードをいかし、トライを狙う日本の翼は、来年のW杯、そして、2020年の東京オリンピックで活躍が期待されている。

潮田:福岡選手は足の速さが持ち味だと思うんですけど、いかがですか?自分のストロングポイントは?
福岡:間違いなくそこでは世界でも戦っていけると自信を持って戦っている。
潮田:やっぱり小さい時から足は速かった?
福岡:基本的にかけっことか運動会のリレーでは負けたことがなかったですね。物心ついていたときには速い方だったのかなと思います。幼いころからスピードでは負けなし(でした)。

2015年、大学生としてW杯に出場すると、つづく2016年、(前年の)ワールドカップに出場した選手ではただ一人、リオデジャネイロオリンピック・7人制のラグビー日本代表に選ばれ4位入賞に貢献。

潮田:W杯は15人制、オリンピックは7人制だが、コートの広さは同じ。
福岡:本当にきついです。めちゃくちゃきついです。7分ハーフとかなんですけど、全然きつさの強度が違います、一人がサボるだけでめちゃくちゃスペースが出来るので、一人一人与えられた広さがめちゃくちゃ大きいので、よりスピードが重要になるというか、そういう意味で自分の強みをより出しやすい機会が増えるのかなと。

オリンピック種目の7人制ラグビー。
フィールドは15人制と同じ広さにも関わらずプレーできる選手は半数以下の7人。
試合時間は7分ハーフと短いとは言え、一人一人に懸かる肉体的な負担は非常に大きい。

このハードなセブンズの経験が一回り大きな選手への成長に繋がったと元ラグビー日本代表・大畑大介さんは話します。
「彼のひとつ課題にしていたところは非常にスピードはあるんですけど、リカバリー能力が少し乏しかったというか、やはり数、何本も走れるっていう能力があるわけではなかったんですよね。だからこそなかなか使いづらかったっていうこともあるんですけど、本当にリオ五輪、7人制を経て、やはり数多く、自分のストロングポイントを出せる力を手に入れたっていうこともあるんで、それから本当にプレーの幅が一気に広がった。」

進化を遂げた日本のスピードスターは、今年6月、世界に衝撃を与えた。
「マッチアップした選手も相手のスピードのある選手で、どういう形で抜こうかと思ったときに相手の体の向きが少し内向きで内を軽快する動きが見えたので、そこはとにかく自分の自信のあるところで勝負しようというところで思い切って外に勝負して、気持ちのいいトライができました。」
世界トップレベルのスピードで2020年・東京の地で活躍が期待される福岡堅樹。

そんなアスリートの意外な素顔とはー

Q:ひとりの時間どんなこと考える?
割とぼーっとしている。
深く思い悩む方でもないので、割とポジティブですし、現在、チームの本拠地がある群馬県で一人暮らしを送っている。

Q:高校時代バンド?
そうですね。趣味の範囲で。
ドラムとキーボード。

Q:ジャンルは?
ミスチルとかフラムプールとかいろいろやっていました。
みんな部活をやっていたので合間合間にやっていた。

Q:音楽に興味を持ったのは?
元々は姉がピアノをやっていたのもあって、自分が小さい時からピアノ教室に一緒に行っていて、音楽に触れる機会があったのがきっかけだと思いますし。

「コーヒーの豆を挽きます。お酒飲めないので、その代わりではないですけど、毎食後は自分のリラックスとか、代表のときも二人部屋とかでリラックスできないですけど、そういうときに自分のスイッチをオフにする機会じゃないですけど、そういうものとして。基本的に家で飲むときはホット。ホットの方が香りか科味の違いとか出やすい気がします。自分の中では。何の語りをしてるんですか。あははははは。おいしいです。あははははは。」
プライベートでは笑顔の絶えない好青年。
そんな優しい男が口にした、夢―

「医師になりたい思いがあったのでー」
音楽とコーヒーを愛するアスリート、福岡堅樹のまた新たな一面。
勉強というか、もう一度、医学部に行くために最低限の基礎を忘れない程度の勉強を続けておこうと思ってやっています。

医師への夢
自分自身ラグビーを引退したあとに医者になりたいという想いがあるので、元々、医学部に医師になりたいという思いがあったので日の丸を背負う男が語る医師という夢。
新たな道に進むため、2020年・東京オリンピックがラグビー人生の集大成と決めている。

潮田:ラグビーを引退後は医師を志すとうかがったが?きっかけは?
福岡:祖父が医師というのもあって、そこに対する憧れ、人柄もすごく優しく、包んでくれるような憧れがあって、そういう人になりたいという人から小さいころから漠然と医師になりたいなという思いはあったんですけど、より強く思うようになったのは高校のときにケガをしてしまって、そのときに手術をしてくれた先生との出会いがすごく大きくて、」

憧れの聖地・花園ラグビー場を目指した福岡高校時代。
2年生のときに左ひざ…
さらに3年生では右ひざにケガを負った。

高校最後の大会に間に合うのか?
そして、最大の武器・スピードを失うことへの不安を拭ってくれたのが当時の担当医・前田あきら先生。
(怪我をした福岡選手にかけた言葉は?)
「決して100点の治療にはならないのは理解してくれと、ただ、出来るだけのことで保存治療、手術をしないで出来るだけのことをサポートするから一緒に頑張ろうと。将来のことを考えたら、すぐに手術して、しっかりと治した方が確実に後々に残らないという意味では良かったんですけど、自分の中では花園にかけていたので、手術をせずにテーピングで固定してやる方法もあるっていうのを(前田先生に)言っていただいて、練習だけでなく病院に行ってリハビリトレーニングしたりとか、そういうのは必死でやりましたね。」
懸命のリハビリを行い、3年生の12月、花園ラグビー場には躍動する福岡の姿が・・・
1回戦、怪我の影響を感じさせないトライを挙げるなど福岡高校28年ぶり全国大会での勝利に貢献した。

「嬉しかったですね。あれがあるから今があるというか、それくらい自分の中で貴重なものとして残っています。どっちかっていうと祈るような気持ちですね。靭帯が不十分なのは僕は分かっていますし、なんとかもってほしい気持ちでみていました。」

しかし、2回戦、後半、ついに右ひざが悲鳴をあげた。
無念の途中交代でチームも敗退。
高校ラグビー生活が終わった瞬間、18歳の高校生は…
「怪我して普通に歩けないので、肩を貸して歩いている時に彼から、『先生のおかげでここまでできました。ありがとうございます。』という感謝の言葉をかけてもらったんですけど、僕もそれですごく嬉しくなって、うるっとくる。気持ちが通じ合った瞬間というか。」

福岡:この人の言うことに従っていれば復帰して元通りにできるんだと自然と思わせてくれる人柄があって、自分自身そういう人になりたい、自分のケガの経験もいかせますし、そういう人が言うからには大丈夫だと思える、そういう人になりたいという思いがあって、より医師に強くなりたいと思いました。

アスリートから医師へ
かつて誰も歩んだことのない道。
だからこそチャレンジしたいー

潮田:ちょっと踏み込んだ質問してもいいですか?個人的に聞きたいと思ったんですけど、 人って悔しい思いだったり悔いが残ってしまったときになかなか次のステップに進めなかったりあったりすると思うが、そういう場合も想像のなかにあったりする?
福岡:もちろん必ずしも成功する保証はないので、そういうこともあると思うが、自分自身で決めた道なので、そこから先を延長しようとは全く思っていないですね。
潮田:もったいないと思ってしまう福岡選手のファンも多いと思うんですよ。
福岡:そう思われながらの引退っていいじゃないですか。はははははは。
もっと見たかったくらいで、ちょっと物足りないくらいで終わった方が自分自身は満足で終われるのかなと。
潮田:最後に2019年、2020年に向けての目標を―
福岡:2019年っていうものは2015年に成し遂げられなかったベスト8に行くために自分自身いい貢献をしたいと思いますし、2020年のオリンピックでは2016年では4位という成績は残せたが目標に掲げていたメダルは届かなかったので、2020年こそはメダルをとって最高の形で引退できるように頑張りたい。
潮田:舞台は整っていると思うので、あとはそこで福岡選手が自分自身のチカラを発揮して、ベスト8で歓喜する姿だったり、メダルをかけられる姿を私たちは見守っていれば大丈夫ですね。応援も頑張ります。

来年のW杯、そして、2020年の東京オリンピック。
金色(こんじき)の明日へ。
笑顔のスピードスターが残り少ない(限られた)ラグビー人生にすべてを懸ける。