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[トクソー] 2017年6月19日(月)のオンエア情報

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福岡大空襲

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6月19日。
72年前のこの日、福岡の街は、B29爆撃機による大空襲に見舞われました。
72年がたった今も、私たちの住む福岡の街にその「傷跡」が残っています。

終戦直後に国がまとめた「戦災概況図」に、現在の画像を重ねると、
博多区から中央区、早良区まで空襲を受けたことがわかります。

旧奈良屋小学校、現在の博多小学校には72年前の空襲のあとが
今も残されています。
「戦争体験を語り継ぐ会」の井形さんに案内していただきました。
2時間にわたって降り注いだ焼夷弾は、町を炎で包み、
その熱はガラスを変形させるほどでした。

福岡県教育会館では、井形さんが所属する団体が地道に集めた戦争資料を
保管しており、戦争体験を語り継ぐとともに資料の貸し出しも行っているんです。
その中には燃え残った焼夷弾もありました。
中には油のようなものが詰められ、
着弾すると30メートル四方に飛び散って火災を起こしたといいます。

福岡市中央区の簀子(すのこ)小学校周辺も焼夷弾が降り注いだ場所です。
戦後の航空写真を見ると、小学校のまわりだけほとんど家屋が残っていないことが
わかります。
簀子小学校の跡地にも空襲の傷跡が残っていました。

空襲後、小学校の校庭には200人以上の遺体が並べられました。
校庭の隣りには墓地があり、その間を隔てていたのが高さ1.3mの赤煉瓦の塀です。
現在は上の部分が取り壊されていますが、この穴から引き取り手のない遺体が墓地に移され、火葬されたといいます。
墓地を管理していた圓應寺(えんのうじ)の三木住職は当時6歳で、
その光景を見ていたそうです。
「とにかくすべてが地獄絵図だった」と住職はおっしゃいます。

さらに井形さんが案内して下さった場所は、空襲を招いた戦争そのものの愚かさを知る場所でした。
福岡市東区の称名寺は、明治末期に作られ、
奈良・鎌倉と並ぶ「日本三大」大仏とも言われた博多大仏があったそうです。
しかし、太平洋戦争末期の昭和19年。
軍に回収されることは戦地に赴く「出征」とみなされ、
招集された男性と同じように胸に赤いタスキがかけられました。

寺には大仏の眉間にあった白毫(びゃくごう)だけが残され、
人々の祈りすら踏みにじる戦争がいかに愚かなものかを今も訴えています。

※「戦争体験を語り継ぐ会」では、平和に関する催しや学習を対象に
資料の貸出を行っています。
福岡市教育会館までお問い合わせをお願いします。
・問い合わせ:092(632)6319
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